基本功

  私(滴水)は、いわゆる基本功へのこだわりが人一倍強いような気がします。 
いえ、きっと功夫家なら当たり前のことなのでしょうが、例えばよそ様の練習風景やお話を見聞するにおきましても、基本練習とその補強・補助鍛錬や基礎鍛錬への興味がほとんどで、套路の表演を観ていてもそのベースになっているそれらを探す方向で観ていることが多いです。 
 この方の拳は、この方々の拳法には、いったいどんな根拠と信念が存在しどういうことを理想として探求しているのだろうか?と。 

 珍しい技法や高度でテクニカルな技法、複雑な連環や見事な実用法など、そのものにはほとんど興味が湧きません。いえ、これはそもそも未熟な私の理解をはるかに超えているからに他ならないのですが、およそそれらをそのままに習得・吸収したいとは全く思えません。それよりも、それらの技法そのものではなく、その基になっている技法のさらに根幹になっているであろうごくシンプルな一式に見入ってしまいます。捶や掌の単純な一手やその起式・落式、対峙して構えるような定式とそこからの一歩など。 
 ですから、かえって初級者の基本套路や入門套路の方が面白くて仕方がありません。 

 私は、私が五霊太極拳で学んだ、そして以来ずっと続けてきた基本式と基礎練功に、敢えて憚らずに申し上げれば、絶対の自信があります。与えられてから40年あまり、ある意味で盲目的にこれを信じて続けてきて、そしてそれらに一度も裏切られたことがありませんし、それどころか未だにますます信頼が増していくのを感じているからです。 
 普段の練習や教室でも、最初の基本式が終わるともうその日の練習の半分は終えたような気分になりますし、そう言えるほど精魂を込めて練っているつもりです。 
 そして基礎練功もそうです。何度か人にご披露もしましたが、うち独特の雲手と衝捶です。全く身に沁みついていて、表現は変ですが、私の心身と一心同体だと思っています。どこも変えようも変わりようもありませんし、何も加えたり引いたりする必要も感じません。 
 絶対の信頼があるのです。 

 五霊太極拳の套路(特に母拳の十三勢)は、練功テーマによって様々に架式が変化します。求める鍛錬や目的によって形が変化できる多様性を持たせてあることそのものが、五霊太極拳の特徴だとも言えるくらいです(よく言われるのですが、私は忽雷架とはそんなに似ていないと思います。技術も技法もかなり異なりますし、根本的になんか違う感じがします)。 
 基本式や基礎練功についての厳格な伝統は、だからこそなのかもしれません。 
それらがあってこそ、自由な心意の活用で行う五霊太極拳の流動的・躍動的で自在な変化が成せるのだと思っています。 
ですから、套路を表面的な型として学ぼうとする人は、いつもかなり混乱しているよう
です。 

 そういう方に言う私の助言はいつも同じ、「基本式と雲手と衝捶!」なのですが、なかなか分かってもらえません。 

 余談ですが、これは私の日常や仕事での考え方にも大きく影響しているような気がしてなりません。これまでの仕事上の技術や方法も、いつも学習・習得時には最も単純な基本練習の執拗な反復に意識的に取り組んで得てきたことばかりだからです。 
 今ではすっかり、基本は厳格に、運用は自在で大胆に!は座右の銘ですし、常に心がけているつもりです。そしてこれは、五霊太極拳の考え方そのものだと思っています。 

 この数十年に、実に不思議なくらいの御縁に恵まれ、数多くの高手の方々に触れ朋友を得てきました。全く幸運です。 
 そしていつも感じますことは、ああ皆さんも全く私と同じように大切にしておられる基本や基礎のお宝をそれぞれにお持ちなんだな~という、ある意味当たり前なことなのですが、いつも新鮮な思いで至極感激し、同胞を得たという感慨に浸ることを繰り返してきております。 

 今回の私が興しましたこのGW(5月4日)の催しで、敢えて初級者・初心者をターゲットにした基本講座をテーマにすることには、以上のことがあるからなのです。 
 特に社会も人生もこれからのお若い方には、ぜひお好みの門流や先生方の教室に参加して心身で体感して頂いて、ほんの一かけらでも本物のお宝を得てこれからの糧にしてもらいたいと願って止みません。 
 この企画で私が伝えたい具体的なテーマは以下になります。 

伝統が築いてきた基本は厳しい。だけど、果てしなく面白い。 

 東京または近郊でお時間のある方、そして私の思いを共有して頂ける方のご協力と応援を、そしてもちろんご参加を、あらためまして伏してお願い申し上げます。


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